日本空手道不動会

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「花咲か人間」のすすめ

(特非)日本空手道不動会 会長兼法人理事長 平野泰作


今の日本の社会における「心の環境破壊」はどんどん進み、次世代を担う子供たちの心の育つ環境としては悪化の一途を辿っているように思われてなりません。


「子供は世の中の人みんなで育てるもの」であるべきだと思います。そしてそれは、私たち大人の誰もが決して逃れてはいけないライフワークであるとさえ思うのです。我々大人たちが破壊して来てしまった「心の環境」は、私たちの手で何とかしてゆかなくてはなりません。

 私は、しばしば「花咲か爺さん」ならぬ「花咲か人間」(はなさかにんげん)になってもらうことを、道場の練習生や周囲の人たちにお願いしています。それは、どういうことかと申しますと、まず前置きとして、日々の生活の中で笑顔が少なかったり、いつも無愛想で態度が悪かったり、無表情だったりする人を「笑顔」や「表情」という花や葉を付けていないということで、失礼ながらあえて「枯れ木人間」と呼ばせて頂くこととしますと、例えば、我々が日常生活の中でコンビニや飲食店などを利用した時に、そこの店員から不愉快な態度を取られたり、無表情で感じ悪く接客されたりしたとします。

そこでこちらもお客という立場にあぐらをかいて「何でこんな無礼な態度を取られなきゃいけないんだ!」という思いから怒りに支配されて、不愉快さを表現する態度ばかり取るようでは「枯れ木人間」に対し、こちらも「枯れ木人間」として、似たようなレベルで対処してしまうことになり、相手に何かを気付かせることも無ければ自分自身の人格の成長も望めません。

その様なレベルの行動の繰り返しが「普通」となってしまっている現代に生きる人たちは、人に接するということは無意識のうちに頭の中で「不快なこと」に分類され、ただでさえ人に接する機会が減りつつある昨今なのに、益々人とのコミュニケーションを絶っていってしまいます。この国の未来をしょって立つ子供たちが、そんな「心の環境」で育ってゆくことを私たち一人一人が許してしまい放ってはおけば、この国の「心の環境」の改善や素晴らしい未来もありません。

そこで、ちょっと思い直し『きっとこの人は周りの「心の環境」が悪く、接してきた人や見てきた人たちが「枯れ木人間」ばかりの環境で育ってきから、木(人間)というのはこれが普通なのだと感じ、何の疑問も持たず「枯れ木人間」が普通だと思い生きてきたんだろうな。』と考え、相手がそういう態度を取っている状況を一度自分なりに理解してみます。

そしたら、心の中でこう唱えます。『よし!自分が「花咲か人間」になって、この人の顔に「笑顔」という花を咲かせ「素的な表情」という葉を付けてみよう!』と・・・。あとは笑顔で感じ良く心を使って「いつもありがとね!」「ここのお店は本当に美味しいよね!」など、自分らしく、気付いた範囲で相手が喜びや好感を抱きそうなことの表現にチャレンジしてみます。

少し恥ずかしかったり、時には勇気もいるかもしれませんが、相手に笑顔が出たり、感じの良い表情が現れたり、相手の態度が好転すれば、あなたはもう立派な「花咲か人間」です。そして、何より良いのは、何処へ行っても自分の周りが素敵な表情の人でいっぱいの「花盛り状態」になることです。

この様に、人との関わりも、空手道の組手も、相手のリアクションに対するアドリブの連続です。時には予想外のことだって起きます。しかし、心や身体を傷つけながらも、前向きに取り組んでいる人は、不測の事態にも対処する強さを持つことができます。大切なのは、日々の「心構え」と「実践」です。

是非皆様も日々の生活を「花咲か人間」となって過ごして頂き、家族にそして街中に笑顔の花を咲かせて下さい。